2010年 08月 14日
今回の城跡探検は、 『嵯峨山城』→『荒神山城』→『一之瀬城』です。 -------------------- まずは『嵯峨山城』へ。 の前に、道中にあったこと。 久米南町の役場辺りに『弓削陣屋』があるらしいと立ち寄ってみる。 けど、それらしいものも無く、町立図書館も早朝なのでまだ開館前。 手ぶらで立ち去るのももったいないので、53号線沿いの碑を確認。 『河原善右衛門・磔田』 河原善右衛門は江戸時代の久米南条郡弓削庄の庄屋で、 農民のために河川の整備やら数々の功績があったそうですが、 そのことの妬んだ人間に貶められて、この場所で磔にされたそうです。 久米南町のサイトにも記事があるくらいの当地の偉人で、 ここ以外にも供養碑や記念碑があるそうです。 検索してみると、『弓削陣屋』は弓削小学校周辺の様子。 -------------------- 嵯峨山城跡へ登城する際に前もって連絡しておいた『佐良山公民館』に到着し、駐車させてもらいます。 佐良山未来ビジョン研究会のページにあった「嵯峨山城跡ジオラマ」について、 どんなものか興味がありましたが、当日は休館日でした。 公民館から嵯峨山城跡までの道のりにも、いろいろあったので、 長くなりそうなのでページ下のほうに記載します。 -------------------- 佐良山の山頂へ約40分ほどで到着しました。あずまやで一休憩。 ここから見えた景色は、当日の霧で視界が悪かったです。 晴れていれば、『美和山城』が見下ろせるのだろうと思います。 『佐良山碑』 市指定文化財 古今和歌集に収録されている 『美作や くめのさら山 さらさらに わがなはたてじ よろずよまでに』 の『さら山』の候補地が3ヶ所ほどあり、その中でも佐良山こそがその『さら山』だということを 後世に伝えるための碑だそうです。 『説明看板』と『イラスト』 (↑クリックしても大きくなりません…。) イラストと現在の地形状況は異なっている印象です。 これと資料をもとに城内をウロウロ探索。 同行者は縄張り図書いてましたが、僕はウロウロをメインで。 『本丸』 三角点は無いようです。 ところどころボコッと土塁もあります。 北側に掲揚柱がありました。イベント時には旗があがるのでしょうか? 麓からでも見える雰囲気です。 『桝形虎口』 ここから下に降りるようですが、整備されていないようで、 かき分けて入るのもイヤなので今回はパス。 下も草木が茂ってて降りてもどうせ遺構が見えそうに無いし。 『法面』 ナイスな斜め。 写真の右側が本丸とかある上の郭で、左奥をかき分けるとたぶん虎口にたどり着く郭の法面。 桜の木があちらこちらにあるので、行くなら桜の頃が良さそう。 『連続竪堀』 連続凸凹。イラストでは『空堀及空堀跡(宇喜多式)』って書いてるところのひとつ。 横からの写真では分かりにくいのですが、緑の濃いところが凸なところ。 下から見上げる感じの写真。 凹部分は茶色が多い。 -------------------- 立ち去る頃には、多少霧も薄くなり、 『院庄館跡』もかろうじて見えていました。 次は『荒神山城』へ向かいます。 -------------------- 佐良山公民館を西に向かって行き、 『田淵酒店』の自販機がある脇の道を進んでいきます。 ここに「嵯峨山城跡」の案内板があります。 進んで行くと、 また案内板発見。 どんどん進んでいきます。 未舗装っぽくなったところで、 『佐良山碑』の案内板。 ここから先は軽トラックが通ってそうな道です。 なので比較的楽に歩くことが出来ます。 アジサイのある大きな分岐がありましたが、そのまままっすぐ。 手書きの『おもかげみち』の看板。 『まちがって買った無糖缶コーヒーのあじ!』 存在がよく分かりませんが、なんだか気持ちが楽になりました。 こんな標語が続くのかと思えば、ココだけ…。 『ふりかえりざか』 もちろん振り返っても霧です。 帰りしなには多少景色が見えましたが…。 『希望坂』の分岐地点。 右に進んでいくと山頂で、あずまやへたどり着きます。 左に進むと連続竪堀のところにたどり着きます。 城攻め気分ならば左に進むことをオススメします。 危なそうな場所も無く、ハイキング感覚で登れそうです。 --------------------
by okayamaudon
| 2010-08-14 23:57
| 岡山探検記
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